女性で損したこと

「自分が男性で損したことある?」と夫に尋ねたら、「うーん…」と何も思い浮かばない様子だった、という投稿をネットで見た。

私は女性だが、女性で損したことがあるかどうかを考えてみた。

あるとしたら、体調。いわゆる生理。子供の頃は特に重くて、道で歩けなくなってしゃがみこんだり、授業も受けられず保健室で寝込んだこともあった。でも大人になって薬などの対処が取れるようになってきたので、今はそこまで気にならない。

あとは、力。ペットボトルやビンのふたをあけたり、引っ越しで重い荷物を整理したり、PCや重い家具を配置したりといった力がいる作業は本当につらい。エアコンや電子レンジのことを考えると絶望する。もうどうしようもなくなったら便利屋さんに頼まないといけないのかな、とまで思っている。

でもそれ以外は、どちらかというと女で得してきたと思っている。

新卒で入社した会社では、明らかに私が若い女性だったから許されていた。仕事の出来も甘かったし、立ち振る舞いも全くなっていなかった。でも若い女性だというだけでチヤホヤされる枠にいられた。だから生きてこられた。もしも私が男性だったら、とても社会人として許されなかった。

そこから何度か転職したが、ふとしたときに「あ、これ私が女性だから許されてるな」と思う瞬間はいくつもあった。男性だったとしたらもっと厳しい目で見られていたに違いなく、男性は大変だな、男性じゃなくてよかった、などと思ったこともあるし、厳しい目で査定されている男性とゆるふわで許される私があたかも同列のように仕事をしていることに負い目を感じたこともあった。

私はこれまでの人生の経験として、女性だから助かったと感じた瞬間は数あれど、女性だからという理由で不当な扱いを受けたと感じたことは一度もない。間違いなく、私が男性だったらもっと大変な思いをしていた。

まぁ、これは私が社会人として不適格であり、単に私という人間がダメなだけの例なので、万人にはあてはまらない。

でも、そうか。今こうして改めて文章にしてみて、「女性だから不当に低い評価をされている風潮を是正しなければならない」というここ最近の流れを、知識として理解はしていたものの、自分ごととしては決して実感していなかったな、ということを発見することができた。自分がそんな経験をしてきていないから、その論調に感情移入することもなく、ただの議論の一主題に過ぎないととらえてきたことを。

だから何だという話でもある。だからといって自分の考えを改めようとか、そういうわけではない。ただ自分が世の中をどう見ているのかを発見できたというだけの話である。

目的

ピアノブログにも書いたが、目的っているのかな。

何かをするには目的がなければならない。目標がなければならない。先のない行為など無駄である。そんなの疲れないかな。

別に何の意味もなく、ただそれがやりたいからやってもいいんじゃないの。未来につながらないからといって、全てが無駄なのだろうか。未来につながる行為しかやってはいけないのだろうか。

なんかそういうのって息苦しくないか。「なぜこれをやるのか?」と常に自分に問い続けるのって疲れないのか。

心の赴くままに、意味のないことに、無駄なことに、好きなだけ溺れてみるのもいいんじゃないだろうか。